「あんまり遠くまで行ってはだめだぞ!」
父親の心配そうな声に、ウォルフ−9歳のウォルフガング・ミッターマイヤーは
ちょっと不機嫌な顔になる。
「大丈夫だって!ちょっと川まで行って来るだけ」
「この前の雨で水が増えてるんだぞ!」
「だから!大丈夫だって」
それでも心配そうな父親を無視して、ウォルフは釣り竿を持って川へと向かう。
ウォルフガングが大好きなおじいちゃんの家は、小さな村のはずれにある。
一歩外に出ると、たくさんの自然と、おいしい空気がウォルフを待っている。
週末に渓流用の釣り竿を持っておじいちゃんの家を訪れ、
一緒に釣りを楽しむのがウォルフの楽しみの一つだった。
ところが。
おじいちゃんの家を訪ねたとき、おじいちゃんはベッドに寝ていた。
2日前、山を歩いていて足をくじいたのだと言う。
「じゃ、一人で行ってくるよ」
そう言い残して、ウォルフは川へと向かったのだ。
いつもおじいちゃんとふたりで行く山道を、今日はたった一人で行く。
ささやかだが、ちょっとした探検気分だ。
ウォルフはいつになくわくわくしていた。
山へと続く小道を歩いていくと、顔なじみの子ども達と会う。
「あれ、ウォルフ、今日は一人なのか?」
「うん!おじいちゃん、怪我してるだろ?」
「そうだったな。で、どこに行くんだ?」
「わかるだろ!釣りだよ」
「・・・・・・川の水、かなり増えてるから行くなって父ちゃん言ってたぞ」
「大丈夫だって!おれ、泳ぎうまいんだぞ!・・・一緒に行くか?」
「・・・おれ。父ちゃん怖いからなぁ。遠慮しとくよ」
そう言って、少年は足早に去っていく。
(ちぇ、おくびょうだなぁ)
と後に疾風ウォルフと呼ばれる恐れを知らない少年はつぶやく。
川の水は確かに増えていた。
いつもの3倍以上ありそうだ。
でも。ウォルフは泳ぎには自信があった。
それに、釣りをするだけだから。
別に泳ぐわけじゃないからいいだろう。
そう思い、いつも登っている岩へと足をかけた。
そのとき。
濡れている岩に足をすべらせ、あっという間に川へとまっさかさまに落ちていた。
長じてからもそうであったが、同年代の子どもよりも遙かに俊敏な動きをする彼が、
そのときは動けなかった。
気がついたときは、速い流れに飲まれていく自分がそこにいた。
苦しい。
もがけばもがくほど、川底へと引きずり込まれていく。
薄れていく意識の中、ウォルフはおじいちゃんから聞いた昔話を思い出していた。
それは、川の精の話。
自分の気に入った魂を持つ勇者を、惑わし、水底へと引きずり込んでしまう。
(おじいちゃん・・・たすけて・・・)
(ウォルフ!)
(誰か・・・呼んでる・・・)
誰かが、ぐい、と腕をつかんだ。
沈んでいく身体が、すさまじい水の抵抗と共に止まった・・・ように思えた。
誰かが自分を引き上げようとしてくれている。
なんだか、どこかで知っているような、その手の感触。
自分の名前を呼ぶ、懐かしいような声。
だれだろう・・・?
ウォルフはそのまま、意識を手放した。
少しずつはっきりしていく意識の中、
ウォルフは、暖かい唇の感触を感じていた。
うっすら目を開けると、そこには宝石のようなきれいな色の瞳がある。
(あれ・・・)
今まで見たことのないような、きれいな瞳。
右の瞳と、左の瞳で、違う光をただよわせている。二つの色の瞳だ。
見たことがないはずなのに、その色を知っているような気がした。
「気がついたな・・・よかった」
その瞳の持ち主は、心から安堵したような声を出す。
ウォルフの父親よりも少し下だろうか。知らない大人の人だ。
いや、知らないはずの大人の人だ。
しかし、なぜだろう。会ったことがあるような気がした。
「おまえはここで死ぬ運命にはないからな・・・もっと気をつけろ」
「・・・・・・」
「全く、その性格は変わらんな」
「ぼくを・・・知ってるの」
やっと呼吸が落ち着き、絞るような声で聞く。
すると、二つの色の瞳の持ち主はおかしそうに言った。
「いや、今は知らん・・・これから知り合いになる」
「え?」
「死ぬなよ、ウォルフ・デァ・シュトルム。おれと出会うまで」
「え??」
疾風ウォルフ?
それ、だれのこと?
もちろん、少年は知らない。
自分が大人になったとき、
その名で呼ばれ、
敵からは恐れられ、
味方からは敬愛される存在になることを。
しかし、そのときは疑問符の嵐。
その、背の高い青年は、
小さなウォルフの額にキスをすると、
「・・・待ってるからな」
そうつぶやいて、消えるようにいなくなった。
あれは、もしかしたら・・・
(ウォルフ!)
あのときと同じ声が、聞こえたような気がした。
「閣下!ご無事ですか?」
心配そうなバイエルラインの声に、ミッターマイヤーは我に戻る。
椅子から投げ出されていたらしい。
ここは、ベイオウルフの艦橋。
部下達があわただしく動いている。
消火作業を行っているらしい。
はっきりしない意識を呼び戻そうと、
頭を2・3度強く振る。
「おれは、どうしたんだ?」
「ベイオウルフの艦橋が被弾しました。
一時通信も途絶致しましたので、心配いたしました」
スクリーンの向こうのバイエルラインは、緊張した声で言う。
「そちらはかなり被害を受けられているようですが・・・こちらに移られますか?」
「いや、大丈夫だ」
そう言って、ミッターマイヤーは自分の身体を点検する。
ひどい怪我はしていないらしい。
全身をかなり強く打っているが、どうやらこのまま指揮を続けることはできそうだ。
ミッターマイヤーは立ち上がろうとするが、やはり全身に痛みが走った。
しかし、そんな姿を見せるわけにはいかない。
いつもと同じように立ち上がり、バイエルラインに笑顔を見せる。
バイエルラインの顔にも、安堵の表情が広がる。
この分では、司令部にも心配をかけているだろう。
飛び交う通信を傍受していると、どうも自分は戦死しているらしい。
ミッターマイヤーは苦笑する。
「ブリュンヒルドに通信を入れろ。
『小官は悪運強く、なおも現世に足をとどめたり。敵の砲火、ヴァルハラの門扉を打ち破るあたわず』とな。・・・急げ」
「はっ!」
通信兵があわただしく動き出す。
ミッターマイヤーの脳裏に、
皇帝陛下の横で自分の安否を気遣っている親友の顔が浮かんだ。
(ウォルフ!)
あの声が、自分を現世に引き戻してくれたように思えた。
幼い日と同じように。
あのときもおまえだったのか?
やがてブリュンヒルドに移乗したミッターマイヤーを迎えた金銀妖瞳の親友は、
いつも以上に満面の笑顔を見せた小柄な友に抱きつかれ、
とまどったような表情をした。
そんな親友にミッターマイヤーはささやいた。
・・・おまえに助けられたよ、2度目だな、と。
あとがきといいわけ(^◇^;)
鏡(ミュラー)さんのサイトに置かせていただいている駄文です。
タイトルは与謝野晶子の有名な詩から取りました。
幼い頃のミッターマイヤーの体験は、きっと、ハイネセンで死んだロイエンタールの魂が
幼いミッターマイヤーの所まで行って、彼を助けたのだと・・・。
その後のことはおわかりですね?「回廊の戦い」のときのことです。
駄文だ・・・すみませんm(__)m